昭和40年10月25日 夜の御理解



 (途中から)
 とその、身に付いて来る。どう言う様な事が身に付いてくるかと言うと、特別なおかげを受けた時、特別に嬉しかったり、特別に怖かったり、特別に悲しかったりと言った様な事は、この三つの事は忘れられないものだと。忘れられないと言った様な事だけが、この有り難いのではなくてですね、あのどのような、どのようなと言うか、平穏というか、平穏無事と言う時、そのような時でもと言うか。
 それがこの有り難いと言うことが身に付いてくるということが私は信心だとこう思うのですね。特別なことに対してだけは、だからご恩、あん時のことは忘れられんから、そのことのご恩だけは忘れられんと言ったようなこと。ね、これが普通一般ですね。私共も平穏無事、何でもないと言うようなことをおかげをおかげと分からせてもろうて、そのことのご恩に対して、神恩、言わば報謝の生活させて頂けれるということがです、身に付いてくると言うのが、私は信心が本当に分かって来る事だとこう思うですね。
 今朝からあの、毎朝、久留米の田中さんが朝の御祈念に参って見えますが、もう朝の、出かけに、善導寺の与田に配達に行かれたち言うんです、そしてお参りして見えとる。もう、もう今朝何時もバスで来るんですけども、今日単車でだからそんなりで、何か輪、輪車(わぐるま)か何かを、配達されたんでしょうね、きっと。ほんでもう、今日はもう単車で来ると手が冷たかった。
 おかげ頂きまして朝から、今日商売のおかげを頂きましてから有り難うございますとしてから、お礼を言われるんですね。ですから私は、田中さんもうあなた去年から敬親会に入っておられる、もう67です、ですから。67歳というあなたがね、その朝の、もう5時頃からでも起きて、そのお商売の配達にでもいかれるという事。そのことの方がもっと有り難いですね。
 「はぁほんなこつそうですね」、ち言うてから、あただに気が付いたようにそのことをお礼を言うておられますて。ね、もう特別にその商売の繁盛が、したとか、もう朝から商いがあったという事だけが有り難い、それに自分が67歳にもなってから善導寺当りまでも配達に見えれる、と言うような元気のおかげを頂いておるという事は、もっともっと有り難いことだと。
 そういうような事がこう、忘れられたり、おろそかになったり、いわゆる当たり前のことのようになって来るという事ですね。ですからもう信心とはむしろ、そういうような平穏無事で、何にも無かったといったような、時ほどにです、時ほどにしみじみ有り難さが分からせて頂けれるような信心になるという事がです、そういう信心が身に付いてくるという事が有り難い。
 これはもう私もう毎日のことなんですけれども、お昼には必ず家内が何か、まぁいうならおごちそうを作ってくれとります。まぁ普通なみにかたい御飯も頂きます。ですから、もう本当言うたらそれが有り難いでなかにゃならんのですけれどもです、勿論有り難いです。けども私の場合はもう、晩の茶粥さんの時の方がより有り難いと言うことです。私がおかげを頂くのはこの辺だと思うです。
 もうこりゃ本当に有り難いのですから、もうそれこそしみじみ有り難いのですから。ね、ほんの、お茶粥さんになら今晩なら今晩でも、お野菜に、なすびと山芋の煮たのがあっただけでしたけれども、もうそれこそ、お漬物に使うお醤油一滴でも、ね、お皿に残っておる、煮ざしのその、醤油が付いておるでもです、もう本当にきれいにすすぎあげさせて頂いて、頂いておると言う事が有り難いんです。
 美味しいというのじゃない有り難い。私はそういう有り難さが身に付いて来よるからです、人の真似の出来んような、いうならおかげも私は頂いておるのじゃなかろうかと自分で思うです。もう先生お願いしとりましたら特別にこげなおかげを頂きましたと。いいやもうあん時の事は忘れられません。もうそれからこっちの事は、なら忘れてしもうとるかと。信心が育つと言う事、信心が分かって行くという事は、信心が自分のものになっていくという事は、そう言う様な事が本当に有り難くなる。
 ですから、言うならばです、ね、そういうようなことの方がもっと有り難いんだという事です。有り難いことじゃあるじゃないか。朝の5時から起きて、単車で善導寺当りまでも配達に行かして頂けれるという、この健康のおかげを頂いておると言う事は、なんという有り難い事じゃろうかねという事をです、有り難いと感じられる所にです、言わば商売の繁盛のおかげを約束されると思うですね。
 けども朝から繁盛したという事だけが有り難い。ね、だからそれはもうここは理屈じゃないです、そういう信心が段々身に付いて来るのです。こりゃ何か塩はなかったかと。今日はなーにんなかかと。と言ったようなものではなくて、そう普通でならばいうような時ほどに私は有り難いと言うことです。これはもう本当に、有り難いんですね。ん。嬉しかったこと、苦しかったこと。そして悲しかったこと。
この三つだけはもう本当に忘れられないものだと。ですからこん時のことだけは、忘れられんというのがあん時のことはやはりその、言わば敵討ちでもせにゃならんとか、あん時の事は、忘れられんからご恩返しをしなければならんとか、というだけの私はものだったらこりゃもう信心のない一般の者だって同じことだと。夕べ福岡の方達の、あの、ご招待でお芝居を見せて頂いたんですけれども、熊谷陣屋がございました。
 仁左衛門の熊谷。あれはもう本当によいお芝居でした。あそこに、あのう、義経が、敦盛を、自分が子供の時に助けてられたという事。それが自分がまだ3歳だったと。時は母親、常盤の懐の中で、いわゆるもういよいよどうにもならないという時に、平弥兵衛ですかね、その人に助けられる。その時のことだけは忘れられないと。その場を行き過ぎようとする、その老人を捕まえてです平弥兵衛待てとこう。
 自分はそんなぁもんじゃないと、眉間のほくろに見覚えがあるち。恐ろしい眼力だと言うて、その兵衛がたまがります。もう見破れたら仕方がないと。あん時にもし自分がお前を助けていなかったら、今のような憂き身を平家は見らんで済んだのにというて、残念がるところがありますけれども、ね。その例えばならご恩を、ご恩返しにです、言わば敦盛をかえしてやる。生かして返してやるというお芝居なんです、ね。
 そん時に義経が申しますのが、苦しかった、悲しいこと嬉しいこと、怖いという事、ね、この事だけは三つ子の魂の中にでも忘れる事が出来ないんだと、それを覚えておったという訳なのですけれども、それでならご恩返しをすると言うのであったら、これは当り前だという事です。あん時の事は忘れられんと言う。だから、勿論そういう事も忘れられないでしょうけれども、それにもましてです。
 日常平穏無事の本当にここに天地のご恩恵の中にお生かしのおかげを頂いておると言う事が、茶粥一杯の中にでも、ね、何でもないお惣菜ならお惣菜、醤油一滴の中にでもです。例えば昼私が、言うならおごちそうを頂く時よりももっと有り難いと言うことになったらです、もうおかげを落とす事はなかろうとおもうですね。そういうようなことがです、私は信心に、自分のものになって行かなければいけないと。
 だからこそ信心生活が有り難いのだと。特別にお願いして、特別におかげを頂くという事だけが信心のような思い方をする所にです、これ程信心するのに、参ったっちゃ同じ事ばのと言ったようなことにまでなりかねないという事。信心とはそういう事を下さるためのものではなくて、もう日常茶飯事の中に、もう日々が有り難い勿体無いという心の状態を育てて下さるのが、私は信心だと思うですね。
   どうぞ、おかげを頂かれました。